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2014/04/23


2011年、Dota2と呼ばれるMOBA(チームプレイによるオンライン対戦ゲーム)の大会が発表され、 その賞金額に世界中のプロプレイヤーが騒然となった。その金額とは160万ドル。日本円にして一億円を超える賞金に、世界中のプレイヤーは思い思いの未来を描きながら、会場に集い、マウスを握った。


ゲームをただの“遊び”と捉える人間はもういない


 友達の家でファミコンで遊んでいた時代から、ゲームは大きく変化してきた。美麗な映像や複雑なシステムももちろんだが、最大の変化はそのあり方だろう。
 だたの娯楽であったはずのゲームは、積極的にその社会的立ち位置を自ら引き上げてきた。ゲームは子供のオモチャや、チープな仮想世界ではなく、現実としてプレイヤーに影響を与える何かなのだと。

多くの大人がゲームは“遊び”と信じて疑わない


 映画FREE TO PLAY(以下FTP)は絶えず、その点を訴えかけている。
 主役でもあり、登場人物でもある一流プレイヤーの彼らは、オリンピック選手のように、人一倍ゲームに時間と情熱を費やしてきた。無駄だと言われ続けてきたその時間に意味を持たせるために彼らは大会に参加するのだが、その途中、彼らはインタヴューの中で、自分のキャリアの限界や、ゲーマーという職業を周りから理解されない悩みを吐露する。
 ゲームは体験であり、現実の延長線上でもあり、そこには失敗も、成功もある。

学校を留年してまで大会に参加する者も。


 FTPはドキュメンタリーとしては異様なほど淡々としている。
 ドキュメンタリーとはある種のセンセーショナリズムが必要だ。ある仮定にもとづいて(多少の誇張を含みながらも)進み、その“仮定”を“事実”に変えていくものが、ドキュメンタリーの定形だ。そういったものが、この映画には欠けている。

 ゲーマーという職業を家族に快く思われず、彼らは苦い顔で口々に「負けたら全て終わりだ」と語る。 そこには華々しさもなければ、ゲームは素晴らしいのだという強がりも、誇張もない。
 それが問題とされないのは「事実だから」という他ないだろう。これは作り手への批判でもあるし、賞賛でもある。
 ゲームないしゲーマーというものを等身大の目線で捉えている部分は素晴らしい。ゲームをただの仮想体験と表現せず、あくまでも全ては現実の延長線上であるという訴えかけは、表現として、とても難しかったはずだ。
 それ故に、代償としてこの映画は残念なほど静的で、停滞した空気を孕んでいる。

 ゲームというものに偏見を持っている人には是非、見てもらいたい作品ではあるが、華々しさや見どころを問われると、その説明は難しい。エンターテイメントというよりは、ゲーム史のいち時代を切り取った資料的な意味合いが強いのかもしれない。


脚本:-/10
配役: -/10
カメラワーク:4/10
構成:8/10
音楽:3/10
分かりやすさ:4/10
良い点:プロゲーマーの現実を忠実に描いている点。
悪い点:良くも悪くもゲーマー向けな内容。
総合:6/10

 
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